ギャラリーに一歩入ればそこは鮨屋と鰻屋。落合陽一さんが提案する新たなアート体験

2024.09.27

経済の中心地、八重洲・日本橋・京橋エリアの源流をつくったのは、江戸の発展を支えたクリエイティビティ溢れる町民たちだった。現代の町民たちが何を考え、どこへ向かっているのか、さまざまな領域で活躍するキーパーソンへのインタビュー。

“Y”ou “N”ever “K”now till you try

\今回話を聞いたのは/

  • メディアアーティスト

    落合陽一さん

    1987年生まれ。2010年ごろより作家活動を始める。境界領域における物化や変換、質量への憧憬をモチーフに作品を展開。筑波大学准教授。2025年日本国際博覧会(大阪・関西万博)テーマ事業プロデューサーも務める。近年の展示として「晴れときどきライカ」(ライカギャラリー東京,京都, 2023)、「ヌル庵:騒即是寂∽寂即是騒」(Gallery & Restaurant 舞台裏,2024)など多数。「落合陽一×日本フィルプロジェクト」の演出など、さまざまな分野とのコラボレーションも手掛ける。

    公式サイト

八重洲・日本橋・京橋周辺には500年分もの歴史的遺産が混在している

メディアアーティスト、研究者、教育者、起業家……いくつもの顔を持ち、現代社会の中で縦横無尽に活躍する落合陽一さん。その根幹にあるのは、デジタルネイチャー(計算機自然)という概念だ。デジタルネイチャーとは、デジタル技術(非物質)が自然や人間の生活(物質)に深く溶け込み、双方が一体化した新たな世界観を意味している。

 

「もう10年間、デジタルネイチャーについて研究をしています。もはや哲学として探求しているといっていいですね」(落合さん、以下同)

 

新たな個展の設営作業に追われながら落合さんはそう語った。落合さんが準備を進めていたのは、インスタレーション展「昼夜の相代も神仏:鮨ヌル∴鰻ドラゴン(ひるよるの あいかわるわきも かみほとけ:すしぬる∴うなぎどらごん)」(2024年9月7日から10月27日まで開催)である。様々な作品を通して、落合さんは自らが提唱するデジタルネイチャーという世界観をたびたび私たちに見せてくれている。

今回の個展の開催場所となるBAG -Brillia Art Gallery-は、東京駅からもほど近い京橋エリアに位置している。設営の風景が通りから垣間見え、今回の展示がどんなものになるのか期待が膨らんでくる。

 

「八重洲、日本橋、京橋エリアはいろんな時代が入り混じった場所だと思います。江戸時代の前から江戸期、明治、大正、昭和、平成、令和まで約500年もの歴史的遺産が混在している。東京に生まれた者として、そのごちゃごちゃとした混在感がおもしろいと長いこと思っていました」

 

かつて江戸城の城下町として栄えたこのエリアには、豊かな文化的遺産(食文化、祭り、工芸などのものづくり)が今も息づいている。超高層ビルが立ち並ぶ都市景観の合間に昭和の風情を残すお店が立ち並ぶ、まさに新旧が融合した独特な空間だ。

 

「こうした『新旧入り混じった空間』に生きている、とはっきり認識したのは高校生の時で、自分のルーツを探る際のキーポイントになると思ったのは30歳ぐらいですね」

テーマは「神仏習合」。「江戸の宗教的空間」をキーワードにリサーチを行う

今回の個展開催が決まった1年ほど前、そのテーマを定めるうえで、落合さんは自分自身の中に抱いてきたもうひとつの興味と向き合った。それは、デジタルネイチャーという観点を通して江戸という街を見た時に、どんな宗教的空間が展開されるのだろうかという問いである。

 

「コンテンポラリー(現代)とは、伝統と革新が交わることで生まれる独特な化学反応のようなものです。そこで、現代において江戸時代の宗教的空間や御神体がどのような形を取るのか考えてみました。その結果、日本では仏教と神道が互いに影響し合いながら共存していることから、神仏習合のあり方を現代的に再解釈し表現してみようという結論に至ったのです。今の日本人は、他国の宗教的慣習も柔軟に受け入れる傾向が強く、宗教に対して非常に鷹揚ですからね」

 

落合さんは作品制作に際し、毎年テーマを決めているという。2023年は「仏教」、そして2024年は「神仏習合」とした。そこから「江戸という宗教的空間の構造」をキーワードとして準備とリサーチが始まった。

落合さんはまず八重洲・日本橋・京橋の街を徹底的に調べ、江戸が方位や宗教的な意味合いにもとづき計画的に設計された人工都市であることに着目した。

 

「江戸では中央近くに神社が、その周辺に仏閣と墓が配置されています。富士山や日光東照宮などの江戸を取り巻く要素を、玄武・青龍・白虎・朱雀といった四聖獣が示す方位に照らし合わせることで、江戸の中央が黄龍もしくは麒麟に該当すると解釈しました」

 

そこで落合さんは、まずこの地域のリサーチを行った。この地域には江戸時代から続く鮨屋や鰻屋が多く、江戸時代から現代まで日本の食文化を牽引してきたまちと言える。また京橋近辺にはかつて竹河岸といって竹材を取り扱う市場があった。そこで、トロ握り発祥の店として知られる吉野鮨本店の5代目・吉野正敏氏や、鰻割烹いづもや3代目・岩本公宏氏、江戸箒専門の老舗・白木屋傳兵衛商店の7代目・中村悟氏を訪ねる。また、この地域の歴史に詳しい八重洲一丁目中町会長・府川利幸氏や江戸町火消し「ろ組」組頭・鹿島彰氏らにもインタビューを行った。

 

「江戸という人工都市と、江戸の豊かな文化的遺産がどう関連しているのか深く探り、理解の解像度を高めたかったのです。祭、鰻、鮨、帚、火消しなど、各分野の専門家に話を聞きました」

 

綿密なリサーチとインタビューを繰り返すなかで、徐々に「鰻ドラゴン」のイメージが形成されていったそう。

「五行思想では四方位(東西南北)と四季(春夏秋冬)に加え、『中央』という位置も設定されています。中央は『土』で色は『黄色』、それを守護するのが『黄龍』、四季の変わり目には『土用』が巡ってくる。そこから『鰻と黄龍が合体した鰻ドラゴン』のイメージが湧いてきました」

 

そのイメージが今回の個展のメインとも言える彫刻作品「鰻ドラゴン」となる。神仏習合の象徴となる「鰻ドラゴン」に姿かたちを与えるため、落合さんはさらに江戸時代から続く山王祭のリサーチを行った。まず向かったのは山王祭を執り行う日枝神社。そこで、昔は山王祭の時に大きな山車が曳かれていたことを知る。

 

現在の山王祭では、町会ごとのお神輿の渡御が行われるが、かつては巨大な山車がまちを練り歩いていた。当時の山車のいくつかは、明治期に千葉県や埼玉県のいくつかのまちに譲渡され、現在でも現役で活躍する山車もあるという。それを知った落合さんは、実際の山車を見るために千葉県佐倉市へと向かった。ここで落合さんが注目したのが、山車の一番上に設置される「山車人形」である。

 

「ここで見た山車人形は『竹生島龍神(ちくぶしまりゅうじん)』でした。龍の形をした被り物を頭に載せています。これが、鰻ドラゴンの発想に繋がったんです。また、竹生島龍神の装束は明治時代に作られたものだそうですが、100年以上経った今でも美しく色鮮やかに維持されお祭りで使われています。これをお借りして鰻ドラゴンに着せるといいんじゃないかと考えました。しかし、佐倉市肴町の人々にとっては大事なもの。なんとか許可をいただき、お借りして京橋まで持ってくることができました」

今回の個展では、この鰻ドラゴンに相対するもうひとつの御神体が展示される。それが、ヌルの御神体「一仏五鮎八鰻三角縁仏獣鏡(いちぶつごでんはちまんさんかくぶちぶつじゅうきょう)」である。落合さんの芸術表現を語るうえで欠かせないのが「ヌル」という概念で、「ヌル」とは計算機科学において何もないことを示す「null」。仏教でいうところの「空」を意味する。

 

「ヌル=空というのは神道にはない概念です。つまり仏教として輸入された概念。だからこの御神体には仏を描かなければいけないので『一仏』を入れました。鮎と鰻は単純に僕が好きだったからということもあるのですが、鮎は日本書紀によく出てくるモチーフです。皇室の儀式で使われる旗に5匹の鮎が描かれていることも知られています。そこからインスピレーションを得ました。八鰻は8つの頭と尾を持つヤマタノオロチにちなんでいます。こういったことから、神仏習合を象徴するのにふさわしい御神体として『一仏五鮎八鰻三角縁仏獣鏡』を制作しました」

 

鰻ドラゴンはデジタルデータを元に、3DCNC(3次元コンピュータ数値制御装置)で制作された。鰻ドラゴンは立ち上がると優に2メートルを超えるサイズだという。一方、ヌルの御神体は3Dで作れず、京都に住む唯一の手磨き鏡の職人に依頼するなど制作過程では様々な苦労もあった。

江戸と現代、日常と非日常をつなぐ鰻屋と鮨屋がギャラリー内に出現

さて、鰻ドラゴンとヌルの御神体は、ギャラリー空間の中でどのように披露されるのだろうか。

 

「鰻ドラゴンは江戸時代からタイムトリップしてきたという設定の鰻屋「鰻龍」に鎮座しています。鰻ドラゴンとともに、江戸時代に作られた150年ものの工芸品や半纏などが一緒に並ぶ、新旧の時代が入り混じった空間です。ヌルの御神体は現代の鮨屋「鮨ヌル」に御神体として置かれています。リアルな鮨屋をどうやって作ったかというと、このギャラリーの近くにたまたま閉店してそのままになっている鮨屋が残っていて、そこから調理器具などをお借りしました。この鮨屋が無かったら『鮨ヌル』は実現しなかったかもしれません(笑)」

 

こうして鰻や鮨という江戸の豊かな食文化が、落合さんのメディアアートに融合していった。鰻屋と鮨屋の空間では、昼と夜が10分ごとに切り替わっていくという。

  • 写真提供:BAG-Brillia Art Gallery-

「古事記や日本書紀に、天照大神が天岩戸に隠れると世界が暗闇に包まれ、天岩戸から出ると世界が再び光を取り戻し秩序が回復するという有名な章がありますよね。ここから発想を得て、昼と夜が常に切り替わるサイクルを作りました。昼と夜が交互に訪れ、時が過ぎゆく中でも神と仏が常に共にあるということを表現したかったのです」

  • 写真提供:BAG-Brillia Art Gallery-

昼夜のサイクルだけでなく、展示にはさまざまなギミックが施されている。カメラを見ながら鑑賞者の話を聞いているAIが突然話しかけてきたり、予期せぬ動きをする作品があったりする。また、なぜこれがここにあるのか?と思わせるオブジェクトに出くわすこともある。会場内をウロウロしていると、常に何かが起こり、五感を刺激され高揚感を味わえるアートなのだ。

楽しみ方は人ぞれぞれ。鮨屋のカウンターに座ってゆったり過ごしてほしい

「戦後の日本では、住宅事情の変化とともに日常生活でアートにふれる機会が減少しました。昔は家庭に床の間、神棚、仏壇などが当然のようにあり、それがアートを見ることでもあったのです。しかし今はそういう方法でアートを鑑賞する人はあまりいませんよね。アートはギャラリーや美術館で鑑賞するものというふうに思われています」

 

今回の展示の舞台となるのはアートギャラリーで、日常生活とは切り離された絵画や彫刻などを展示するためのホワイトキューブという空間である。だからこそ落合さんは、鮨屋と鰻屋という地場を象徴する空間をギャラリー内に作り出すという逆説的な方法をとった。日常の延長として楽しめるような「地続き」の展示を目指したという。

「鰻屋と鮨屋は日常に根付いた食べ物を提供するお店ですからね。鰻や鮨は江戸時代のファストフードです。鮨はコンビニのおにぎり、鰻はファミチキのようなノリで食べていたと思いますよ(笑)」

 

普段あまりアートギャラリーや美術館に作品を展示する機会がないという落合さんが、約6年ぶりにアートギャラリーで行うユニークな試みは、すでに設営段階から功を奏していた。街行く人々とのコミュニケーションが始まったのだ。

 

「新しい鰻屋と鮨屋が開店すると思われたのでしょう。飛び込み営業が来たり、仕事帰りの女性が『わあ、新しいお鮨屋さんだ!』と興味津々で覗いていったりしました。『ドアが開きっぱなしとの通報があったので』と、お巡りさんが見回りに来たりもして(笑)、すでに多くの反応が見られましたよ」

 

それもそのはず、看板も出ているし、入り口の雰囲気からして飲食店にしか見えない。会期中もきっと、本当の鰻屋と鮨屋だと思って扉を開ける人がいるはずだ。

 

「入ってみると鰻ドラゴンがでんと座ってるからびっくりするでしょうね(笑)。僕の作品にはキラキラジャパンとシブいジャパンがあるのですが、今回は明らかにキラキラジャパンです。なにしろ鰻ドラゴンは、『さかなクン』みたいに鰻の被り物をした全身銀色の彫刻作品ですし。他にも妖怪の一種である手長足長の彫刻、音声のみですが会話ができる板前さん、レーザーやLEDの映像作品などあって、かなり楽しい展示だと思いますよ」

 

キラキラジャパンは、鮨屋に飾られた作品でも楽しめる。落合さん自身が撮影した鮎、コハダ、鮪を、銀箔を張った墨和紙に特殊インクジェットプリントした作品だ。

 

「作品制作のために遠出もしましたよ。紀伊半島では水揚げされたばかりの鮪を撮影させてもらいましたし、天然の鮎を撮影するために長良川まで行きました。コハダは行きつけの白金のお鮨屋さんでさばいてもらって撮影しました。ちなみに好きな鮨のネタはコハダと鮪です(笑)。」

 

このように落合さんから作品制作のエピソードを聞き、実際に作品を体験してみると、「デジタルネイチャーとは何だろうか」と悩む必要はないと思えてくる。ただ驚いたり思わず笑ったりする中で、「この裏側にはどんな仕掛けがあるのだろう」と、作品の外観だけでなくそのロジックにも興味が湧きワクワクしてくるからだ。メディアアートとはアートとサイエンスが絶妙に融合した表現であり、アートもサイエンスも「何かを探求するプロセスである」という落合さんの言葉が自然と心に響いてくる。

最後に、この展覧会でどう過ごせばより楽しい時間となるのかを聞いてみた。

 

「楽しみ方はそれぞれ自由ですが、鮨屋のカウンターに座り、ゆったりと過ごしてもらえたらと思います。鰻屋も鮨屋も、昼と夜が10分ごとに入れ替わるので、どちらも20分ずつ過ごせば良いと思いますよ」

 

新旧の時代が混ざり合った鰻屋と鮨屋で、10分刻みの新たな時間の間隔を体験する。このかつてないユニークなアートは、デジタルネイチャーが当然となった世界とはどんなものかを知る手掛かりとなるだろう。その世界は様々な境界を越えて、新たな視点や可能性が生まれる素晴らしい世界かもしれない。

 

撮影/田野英知

  • 落合陽一個展「昼夜の相代も神仏:鮨ヌル∴鰻ドラゴン」

    会場:BAG-Brillia Art Gallery-(東京都中央区京橋3丁目6-18)

    会期:2024年9月7日(土)~ 10月27日(日)

    開館時間:11:00~19:00 (休館日:月曜日)

    ※月曜日が祝日の場合は開廊し、その翌日は閉廊します。

    料金:無料

Writer

冨永真奈美

ライター

ライター(日本語・英語)。ワイン、クルーズ、旅行などのメディアを通じて、豊かなライフスタイルや価値あるエクスペリエンスを伝えることに情熱を傾けている。全大陸を踏破。世界的なデザイナーの本を多数翻訳するなど、出版翻訳においても豊富な実績を有する。日本ソムリエ協会認定ワインエキスパート。

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