他者目線よりも自分目線を大切にした雑誌へ。新しい女性像を発信し続ける編集者

2024.05.16

経済の中心地、八重洲・日本橋・京橋エリアの源流をつくったのは、江戸の発展を支えたクリエイティビティ溢れる町民たちだった。現代の町民たちが何を考え、どこへ向かっているのか、さまざまな領域で活躍するキーパーソンへのインタビュー。

“Y”ou “N”ever “K”now till you try

中央区京橋にオフィスを構え、1946年(昭和21年)の創業以来『週刊女性』『JUNON』『LEON』などの雑誌や料理書、写真集などを刊行している主婦と生活社。第3回は、この老舗出版社が刊行する女性ファッション誌『ar(アール)』の編集長。2019年に社内最年少で就任した。

\今回話を聞いたのは/

  • 株式会社主婦と生活社
    『ar』編集長

    足立春奈さん

    1985年、東京都生まれ。早稲田大学卒業後、2008年に主婦と生活社に入社。『JUNON』編集部で編集者としてのキャリアをスタートさせる。2012年『ar』編集部に異動。「おフェロ」ブームで大きな話題となる同誌の編集に携わる。2014年に体調を崩し休職。3カ月間の入院を経験する。復帰後はWebディレクターも兼務しながら、2019年12月、社内最年少編集長に抜擢。6歳男児の母としての顔も持つ。

     

    ▶︎「ときどき行くゴルフ。たまたまいい一打が出ると、『それが私の実力!』と考えます(笑)」

仕事に遊びにと全力で駆け抜けた20代

スマートフォンやアプリの登場、生活トレンドの大きな変化、SNSの浸透…。この10数年、日本の雑誌メディアは激しく変化してきた。まさに、その変化の渦の真っ只中で、編集者として過ごしてきたのが、足立春奈さんだ。

 

彼女が編集長を務める20代女性向けファッション誌『ar』は、「おフェロ」や「雌ガール」などの造語で、大きなブームを巻き起こしたことでも知られる。

自身、ファッション雑誌を読んで育った。そして出版社に就職することを考えるようになり、2008年に主婦と生活社に入社する。

 

「誰かの人生をちょっと豊かにする仕事がしたいと思っていたんです」

 

女性誌に携わってみたいと考えていたが、最初に配属になったのは、女性向けの総合エンターテインメント雑誌『JUNON』編集部。仕事に明け暮れる20代の日々が、ここから始まる。

「今では若い部下に話すとすっかり引かれてしまいますが、10日も連勤したり、会社の仮眠室に連泊し銭湯に通ったり。そんな毎日でしたね(笑)。でもハードワークでしたが楽しかったです。当時は私だけでなく、周りの同僚たちもみんなそんな感じで仕事をしていましたし」

 

2012年、『ar』編集部に異動する。編集長が交代し、雑誌もリニューアルするタイミングだった。

 

「ちょうど新しい人材が必要で探していたところだったんだと思います」

そしてこの『ar』のリニューアルに伴って生まれた「おフェロ」という言葉が、爆発的なブームを引き起こすことになる。好きな人に好かれたい、好きな人にかわいいと思われたい。だから努力する。それを堂々と全面に打ち出したメッセージが、20代の女性たちの大きな支持を得たのだ。「おフェロ」という言葉のインパクトも大きかった。

 

「私たちも経験したことがないようなムーブメントが起きていきました。雑誌やテレビが取材に来たり、他の雑誌も同じような打ち出しを始めたりして」

 

ハードワークには拍車がかかった。しかも仕事だけをしていたわけではない。友達からの誘いがあれば、夜になると中目黒に三軒茶屋にと繰り出し、飲んだ後は家に帰らずにそのまま会社に戻ったこともあった。

 

「忙しかったけど、純粋に面白かったんです。雑誌というモノを作る上では妥協なんてできない。だから時間がかかる。編集者を志した以上、それは当たり前だと思っていました。何を持ってハードワークとするかは、自分次第なんだと思います」

だが、29歳のとき、大きな変化が訪れる。

人生を変えた3カ月にわたる入院生活

「身体のむくみがひどいな、とは思っていました。でも、ちょっと足首が太くなったな、くらいで気にしていなかったんです。ハードに働いていたので正直、調子が悪いこともよくありましたし。病院に行くこともしなかった。ところが、あるとき体重が1日で6kgも増えてしまって」

 

難病のネフローゼ症候群。尿にたんぱく質がたくさん出てしまい、血液中のたんぱく質が減りむくみが起こる病気だ。尋常ではないむくみはそのせいだった。病院に行くと即入院となり3カ月を大病院の大部屋で過ごした。

 

「まわりは、おばあちゃんばかり。朝、目が覚めると毎日同じ天井が見えるのがうらめしかった。楽しかった仕事にも行けない。このまま自分だけ取り残されるのではないか、と不安ばかりが募りました」

ようやく復帰できたとき、仕事への取り組み方を変える。自分にしかできないことは何だろう、と改めて考えた。それが、当時まだ黎明期のウェブメディアだった。外部に制作を委ねていたものを、自分たちで運営しようと提案。『arweb(アールウェブ)』を立ち上げる。

 

「無理をしなくなりました。限りある自分の体力の中で、どんなパフォーマンスを出せるか。当時、編集部で最年少だった自分の感性を活かせるのはウェブだと思ったんです」

 

さらに翌年、病気の時期に支えてくれた夫と結婚。出産、半年の産休を経て2018年に『ar』に復帰する。世の中を大きく騒がせた「おフェロ」ブームには陰りが見え始めていた。そんな中、翌2019年に、当時社内で最年少の編集長に抜擢されたのだ。

 

「まったくそんなつもりはなかったんです。いつかはなれるかも、とは思っていましたが、目指していたわけでもない。むしろ、この雑誌の生き残りを左右するタイミングで、編集長という重大な仕事ができるのか、という思いのほうが強かった」

 

組織というのは面白いものだ。「なりたい」という人がポジションにつくわけではない。なぜなら、ポジションにつくことがゴールでは困るからだ。ポジションはゴールではなくツール。「そのポジションを使って何をするか」こそが、期待されるのである。

「もともとサプライズパーティをしたりして人を喜ばせることが好きだったんです。だから、雑誌づくりは楽しくてしょうがなかった。読者が喜んでくれることを想像し、ワクワクしながらいつも作っていました。人を喜ばせられる編集の仕事が、とにかく好きだったんだと思います」

 

何かを発信して、誰かのためになる。これこそが、足立さんの最大のモチベーションだった。当時の『ar』はどこか世の中から、そして読者のニーズから微妙にずれ始めていた。だから、今こそ本当に読者のためになるものを作るという原点に立ち戻るべきだと考えた。「この雑誌にはまだできることがある」そう考えていた。そこで、編集長に就任すると、いきなり大胆な改革に踏み出す。

「おフェロ」用語を徹底的に封印。自分ために…という価値観にシフト

女性ターゲットの雑誌には、時代によって大きなトレンドがある。ちょうど足立さんが社会に出た頃は、とても一般人では真似のできないカリスマモデルブーム。人間離れしたスタイルや美しさのモデルにみんなが憧れた。それが少しずつ身近なロールモデルへと変化していき、「おフェロ」ブームが来た。

 

「その頃、女の子が目指すものは、素敵な男性にちやほやされること、見初められることだったんです。それがSNSの時代になって大きく変わりました。みんなが共通して目指したいロールモデルがいなくなり、誰かに褒められたい、ではなく、自分が満足するために、という価値観にシフトしていきました」

 

ブームの中で乱用された「おフェロ」は、いつしかあざとく映るようになっていた。「おいしそうなボディ」「食べごろボディ」といった行き過ぎたキャッチコピーやビジュアルは、男性読者まで獲得するようになっていたのだ。

「好きな人に好かれたい、という文脈は変わっていないんですが、編集側の意図に反して間違って解釈されるようになってしまっていました」

 

この状況がちょっと変だな…とは、編集部員も気づいていた。原点に立ち戻る熱い議論が始まる。それぞれが「これこそがar」と思った好きなページやビジュアルを持ち寄って会議を行った。編集部全体の意識をすり合わせて、同じ方向を向くためだ。そのときに作ったファイルは、今も足立さんのデスクに立てかけられている。

 

「みんなの熱量はすごかったですね。新しく生まれ変わるんだ、と」

 

一度、振り切る必要があると考えた。フェロ、モテ、ホンロウといった「おフェロ」用語は2年間にわたり封印した。小さな写真キャプションですら見つけたら足立さんが赤字を入れた。『ar』から男性読者が消え、ミーハー層も減り、arの世界観を好きだという読者が増えていく。

 

「今は、女の子がかわいいと思うものが出ている雑誌ですよね、と言われるんです。うれしいですね。ちゃんと思いは伝わるんだな、と改めて思いました」

 

そして2023年4月、新たに立ち上げたのが、フェムテックウェブメディアの『mEdel(メデル)』だ。

「もともとスキンケアやボディケアは、『ar』でも人気の企画だったんです。でも、自分の身体の変化や健康には意識が薄いのかも、と感じていました。私が20代に病院に行かなかったように。でも、そういった情報はきっと求められているはず。だからそれを『ar』とは別軸の落ち着いたトーンで伝えられるメディアで展開したいと考えました」

 

『mEdel』というネーミングは、女性たちが自分の身体を愛でる時間を持ってほしいという思いからつけられた。今後も女性の健康や妊娠、出産、セクシャルウェルネスだけでなく、働き方や子育て、会社の制度などにまで切り込んでいきたいという。

子育ては夫と完全ワンオペ交代制。お互いのやり方に口出しはしない

6歳になった子どもは夫との「完全ワンオペ交代制」で育ててきた。

 

「私は昨日、23時まで残業していましたが、子どものお迎えから夕食、お風呂、寝付かせるまで、すべて夫が担当しました。今日は私が担当。これを交互に繰り返しています」

お互い忙しい仕事だが、これなら子育て担当日以外は残業も飲み会も問題ない。そして唯一、心がけているのは、お互い細かいことには一切口出ししないこと。食事は必ずしも手作りにはこだわらない、寝かせる時間が多少遅くなったっていい。でも、家族3人で過ごす日は、その時間を大切にして思い切り楽しむ。今でこそ珍しいことではなくなった夫婦二人三脚の子育てスタイルだが、ほんの10年ほど前までは当たり前ではなかった。こういった自分の経験も踏まえて『mEdel』を通して伝えていきたいことをこう語る。

 

「ワーキングマザーは増えましたが、漠然とした不安を抱えている女性は今でも多いと思います。早く産んで、子育てが落ち着いてから本格的に働くのも、ある一定のキャリアを積んでから産むのも、子どもを持たないという選択も、どれも間違いではない。自分がやりたいことを貫く女性も増えているし、いろんな選択をした女性たちを取り上げることで、いろんな働き方、生き方があることを伝えていきたいです。私自身のことを言えば、管理職になったタイミングだったからこそ、子育てと仕事をバランスよくこなせているような気もします」

 

最後に今後チャレンジしてみたいことを聞いてみると「学習参考書を作りたい」と意外な答えが帰ってきた。自分の体験も生かして、世の中のお母さん、お父さん、子どもたちに喜んでもらえるものを作りたいと語る。

 

意外に思えるがしかし、やっぱりキーワードは「喜んでもらえる」なのだ。足立さんの作る学習参考書、ぜひ見てみたい。

 

撮影/田野英知

Writer

上阪 徹

ブックライター

1966年、兵庫県生まれ。早稲田大学商学部卒業後、ワールド、リクルートグループなどを経て、1994年にフリーランスとして独立。経営、金融、ベンチャー、就職などをテーマに、雑誌や書籍、ウェブメディアなどで幅広く執筆を手がける。近著に『安いニッポンからワーホリ!』(東洋経済新報社)、『ブランディングという力』(プレジデント社)など。

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