日本の玄関口・東京駅を有する八重洲・日本橋・京橋エリアは、多くの人を受け入れるまちであるとともに、地縁的な結びつきも強いまち。注目の若手エッセイスト・絶対に終電を逃さない女が、このまちや人々を観察していく連載。
この連載の第1回で東京駅を観察してから、はや三年。今回はこの三年での東京駅周辺の変化についてというテーマをいただき、目をかっ開いて駅構内や地下街、八重洲口周辺を数時間うろうろしたのだが、正直、あまり変化を感じられなかった。コロナ禍直後の2023年から比べると、観光客はますます増えている。しかしそれ以外、本当に変化がないのか、私の観察眼がその程度なのか……。
ただ、わかりやすい変化といえば、新たな商業ビル「トフロム八重洲」ができたことである。この連載を始めてから東京駅によく来るようになった私にとって、八重洲口を出てすぐの白いバリケードと大きなクレーンは、すっかり見慣れた風景になっていた。それがついに完成したと思うと、感慨深い。

八重洲通りの外に面したトフロム八重洲の1階にある、割烹嶋村のランチメニューを見ていると、どこかの社員証を首から下げた三人組が歩いてきて、部下らしき人が提灯と暖簾を見上げて「めっちゃ良さそう!」と笑顔で言いながら並び始めた。その笑顔は上司を持ち上げるためのものではないことが、何となく伝わってきた。小雨が降っていたこの日は5人ほど並んでいたが、屋根が少し出っ張っているので、大雨でなければ濡れずに済む。
嘉永3年に八重洲の地で創業したという嶋村。入り口は檜の引き戸で、外から中が見える窓もなく、新築ながら老舗割烹の威厳をしっかり受け継いだ外観に恐れ入る。物理的には大きなビルの中に入っているのに、その佇まいは独立していて、新しさに飲み込まれることがない。
木の板に書かれた「嶋村のお昼食」は日替わり定食が1,200円で、最も高いものでも2,500円の金ぷら定食。オープン記念価格などではなく、もともとこのくらいの価格だったらしいことを、その場で検索して知った。以前から気になるお店ではあったのだが、どうせ高いのだろうと決めつけていた私は、この時代に検索すらも怠っていた。なんて愚かだったのだろう。
店内は広々としていて、清潔な檜に囲まれていると、外を行き交う人が見えない作りになっているのもあって、自分が大きなビルの中にいることを忘れてしまう。
この日の日替わり定食は鯖の味噌煮。鯖が想像の2倍大きく、さらにそれが載っているお皿は3倍あり、その大胆さに圧倒される。鯖には大根とちくわが添えられていて、米粒は食べなくても美味しいとわかる光り方をしている。貫禄と奥行きのある鯖に感心しつつ、大根を口に運ぶと、やられた、と思う。主役の鯖で油断しているところに、この只者ではない大根の味の染み方。名脇役。これで1,200円とは、いろんな意味で器がでかい。

どうやら嶋村の出入り口は先述の外に面した一つのみで、ビル内部につながる出入り口をあえてつくっていないのが乙である。一旦外に出て貫通通路を抜け、大きなガラスの自動ドアをくぐってビルの中に入ると、途端に美味しそうな匂いが一気に鼻に入ってきて驚く。有無を言わせぬ食欲をそそる香りが、笑えるほど充満している。それもそのはず、旧町名にちなんで檜物町スクエアと名付けられた広場に面した飲食店は、通路との間に壁がなく、屋台のようなつくりになっているのだ。うどん、焼き鳥、シンガポールチキンライス、スペイン料理。
吹き抜けの広場には、テーブルと椅子が置いてあり、そこでお茶をしている人や、ノートパソコンを開いている人もいる。大きな植物があちこちにあって、そこをただ通り抜けていく人々もいる。この連載の第6回でも取材した山王祭で担がれる檜物町のお神輿も展示されていて、天井や手すりなど随所にもふんだんに檜が使用されている。屋内でありながら、大きな公園のような開放感と賑わいがある。

エスカレーターで2階に上がると、同様に壁のない屋台っぽいお店もあれば、一切中が見えない格式高そうな高級焼き鳥店もあり、テナントでありながらそれぞれの外観が実に個性豊かで、まるでいろんなお店が混在している八重洲のまちを歩いているよう。
奥まったエリアに歩みを進めると、YAESU東京界と名付けられた少し薄暗い一角に突き当たる。トフロム全体としては空間を広く取ったつくりだが、ここは小さなお店がひしめき合う路地裏のような雰囲気。まず目に入ったのが、「魚河岸 立食い鮨 きいつ」。覗いてみると鮨やカウンターのつくりなどは高級店のそれなのに、上部に暖簾があるだけで文字通り壁がなく、段差もなく線が引いてあるわけでもなく、通路と完全にシームレスで、敷居低いどころか敷居がないのだ。カウンターしかない鮨屋というだけで敷居が高く感じてしまう私でも、これなら入りやすい。

とはいえ嶋村のランチがボリューム満点だったのでまたの機会にと、近くにあった椅子に腰を下ろしてしばし休憩。トフロムは外にもベンチがたくさんあり、中にも座れるところが多くて、疲れやすい私にはありがたい。特に2階にはデザイナーズっぽい椅子とベッドくらいの大きなソファがいくつか置いてあるエリアがあって、その近くのテラスにも彫刻作品とともに椅子が設置されている。
その作品は鋼の針金が木の年輪のようにぐるぐると層になった女性の像のようなもので、けれど特定の像を示すのでなく、見る者の視点によって揺らぐものらしい。これは映画監督の岩井俊二が八重洲を舞台に書き下ろした小説を背景に制作されたもので、同様に8組のアーティストによる作品が、館内各所に小説とともに展示されている。
夕方近くになり、屋内の透明の丸い椅子に座っていると、背後から何やらパーティーのような歓声が聞こえてきた。この日は“開業祭”が開催されていて、1階の檜物町スクエアでDJイベントが始まり、さながらクラブの様相を呈しているようだった。吹き抜けだから2階にもよく響く。
盛り上がる音を背に、私は特設サイトでも公開されている岩井俊二の小説を読む。座っている周囲の人たちも各々スマホをいじったり、お喋りをしたりしている。

私は高校の体育館をふと思い出した。通っていた高校では、体育祭や文化祭、球技大会などの行事の際、体育館で後夜祭が行われていた。主にお笑いコントや漫才と軽音部のライブで、特に後半のライブはそれはもうフェス顔負けの盛り上がり具合だった。私は人がまばらになった後ろのほうに座ってその光景をいつも眺めていた。各クラスに5人くらいそういう生徒がいて、だいたい毎回同じメンバーで、ぼーっと眺めたりお喋りをしたりしていた。照明を落とした体育館で舞台にだけライトが当たっているから、暗い後ろのほうからは照らされたみんなの突き上げた拳がよく見えた。飛び散る汗までもが見えるようだった。
2年か3年のある日、担任の先生が「このクラスの改善したほうがいいところをみんなで挙げる時間」を突然設けた時、クラス一番の盛り上げ役の男子が言った。
「行事の後夜祭の時に、前のほうで盛り上がってる層と、後ろのほうで座ってるだけの盛り上がってない層の温度差がありすぎる」
私含めた“盛り上がってない層”の数人は黙り込み、“盛り上がってる層”も強く同調するわけでもなく、ただ気まずい空気が流れた。私は盛り上がっていないわけではないけどな、と内心思った。盛り上がっている様子を遠くから眺めるのが、私は割と好きだった。毎回それを楽しみにしていた。前のほうでみんなと一緒に歌ったり跳ねたりするのは苦手なので御免だが、眺めているだけでも、むしろ眺めるだけだからこそ、心の中では私なりに盛り上がっていたのだ。人それぞれいろんな盛り上がり方、楽しみ方があるのに。
そんな反論をする勇気もなく、結局なあなあになって、“温度差がありすぎる”ままで私たちは卒業した。

今私が座っている椅子は、通路に背を向けて置いてあって、前方にはガラス越しに先述の像とさくら通りのビルが見える。よく考えるとこういう配置は珍しい気がする。デパートや商業施設の休憩用の椅子は、だいたい通路なら通路側に向けて置いてあり、あるいはトイレの横などの通路から見えない片隅や、出入り口付近に設置されていることが多い。こんなふうに、人通りの多い広い通路に堂々と、通路に背を向けて置いてあるのは珍しいのではないか。
そのおかげで、イベントの熱気と私との間に適度な距離が空き、高校時代のあの後夜祭の距離感と似た心地良さが生み出されていたのだ。
人それぞれいろんな楽しみ方がある。まさしくトフロムは、いろんな楽しみ方を提供してくれる器の大きさを感じられる。

こうしてお店に入らなくても座れる場所がたくさんあって、外のベンチでランチをしている人も多かったし、広場を横切っていくだけの人も多い。飲食店は高級店と庶民派が混在し、さらには松屋やスタバもある。高級店の中でも、プライドを感じさせる出立ちのお店もあれば、立ち食い鮨のように本来高級なものをリーズナブルかつ敷居低く提供するお店もある。東京駅からヤエチカを経由した直結通路はシームレスにトフロムにつながり、気づいたら足を踏み入れている。とにかく、外に開かれた感じがするのだ。
これが、古くから国内外のいろんな人やものを受け入れてきた、八重洲らしさなのかもしれない。こういう態度が学校にもあったら良かったなと、私は今さらながら思うのだった。
撮影/wakana
絶対に終電を逃さない女
文筆家。1995年生まれ。早稲田大学文学部卒業。大学時代よりライターとして活動し、現在はエッセイを中心にWebメディア、雑誌、映画パンフレットなどに寄稿。雑誌『GINZA』(マガジンハウス)のウェブマガジンに掲載した連載エッセイ「シティガール未満」が話題となり、2023年に書籍化(柏書房)。2025年11月には2冊目の単著『虚弱に生きる』(扶桑社)が発売に。
X:@YPFiGtH
Instagram:shudengirl

1995年生まれ。早稲田大学文学部卒業。大学時代よりライターとして活動し、現在はエッセイを中心にWebメディア、雑誌、映画パンフレットなどに寄稿。雑誌『GINZA』(マガジンハウス)のウェブマガジンに掲載した連載エッセイ「シティガール未満」が話題となり、2023年に書籍化(柏書房)。2025年11月には2冊目の単著『虚弱に生きる』(扶桑社)が発売に。(アイコン写真 撮影:小財美香子)
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