経済の中心地、八重洲・日本橋・京橋エリアの源流をつくったのは、江戸の発展を支えたクリエイティビティ溢れる町民たちだった。現代の町民たちが何を考え、どこへ向かっているのか、さまざまな領域で活躍するキーパーソンへのインタビュー。
“Y”ou “N”ever “K”now till you try
第2回は中央区八重洲にオフィス拠点のある人材ベンチャー、XTalent(クロスタレント)の筒井八恵さん。人材紹介コンサルタント・DEIスペシャリストとして活躍している。佐賀大学医学部を卒業後、助産師をしていた彼女が、なぜまったくの異業界に飛び込んだのか。
\今回話を聞いたのは/
XTalent株式会社
withworkコンサルタント・DEIスペシャリスト
筒井八恵さん
1992年生まれ。佐賀大学医学部看護学科卒業後、日本赤十字社医療センターにて助産師として働く。その後、シンクトワイス株式会社での人事支援を経て、2018年に「ママリ」を展開するコネヒト株式会社へ。2020年11月、佐賀県との連携協定を締結。自治体との共創事業をはじめとしたアライアンスリード、企業への研修企画・講師を行う。2021年、X Talent株式会社参画後はDEI事業の立ち上げや責任者を担い、現在に至る。
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日本で働く人のキャリアはどんどん多様化している。だが、これだけ振り幅の大きな転身は、なかなかないのではないか。医学部看護学科を卒業して日本赤十字社医療センターの助産師となり、そこから人材ビジネスのベンチャー企業に転職。現在は、XTalent株式会社で人材紹介コンサルタントを務め、DEI(Diversity/多様性、Equity/公平性、Inclusion/包摂性)のスペシャリストでもあるのが筒井八恵さんだ。
「企業の採用支援、そして求職者へのキャリアアドバイス、その双方を行っています。企業側からは事業成長に必要な人材ニーズを聞き、求職者からはどんなキャリアを構築していきたいのかを聞き、マッチングをはかります。また、昨年は採用支援だけではなく、企業のDEI推進のための研修企画や組織サーベイによる分析とアドバイス、コミュニティ運営も行ってきました。複数企業が集まって年間にわたってDEIのプログラムを受講いただく試みもここ1年ほどトライしています」
XTalentの大きな特色が、育児中の共働きの親が利用できる転職支援サービス「withwork」を展開していること。企業は今、多様な人材を求めている。
「例えば、リーダー層のバックグラウンドを多様化したい、女性の管理職を増やしたい、若い人が多いスタートアップでは30代〜40代のシニア層を採用したい、といった声も聞こえてきます。企業が唱える、いわゆる『活躍できる優秀人材』の定義が、育児ケア責任の有無などの属性で狭まらないよう支援しています。従業員の多様性をあげるための採用支援に強みを持っている会社です」
女性の管理職を増やしたいというニーズは大きいが、そうした女性の候補者を数多くプールしている人材会社は多くはない。「withwork」の場合、登録者の6〜7割程度が女性なのだという。また、ワーキングペアレンツに強い会社ということを求職者も認識しており、他の人材会社には登録をしていない子育て中の登録者が多いのも特徴だ。
「子育て中だというだけで、時短のイメージを持たれてしまうこともあります。それもあって、一般的な人材会社には登録していない人も少なくないんです。ですから、隠れた逸材に出会えるチャンスも大きいと思います」
筒井さんは1992年、佐賀県生まれ。佐賀大学医学部看護学科在学中から、いずれ医療の世界を離れて仕事をするかもしれないと考えていたという。
「医療現場からみえる課題は、社会のあらゆる周辺領域の課題と複雑に絡み合っていると感じていたからです。助産師を目指していた学生時代は、医学部キャンパス内でできる範疇を超えた課題解決アプローチができないか、地域と周産期医療、女性のキャリアとリプロダクティブ・ヘルス/ライツ、学校教育と保健医療、働き方・パートナーシップと妊娠出産などをテーマにした越境学習も進めていました。学生団体を立ち上げ、九州全域から医学生を集めて運営したり定期的にイベントを開催したりもしていました。助産師の仕事は社会の中で大事な役割を担っていますが、妊産婦やその周囲の方々が抱える課題の解決のためには医療からのアプローチだけでは解決できないと感じていたんです」
この思いをさらに後押ししてくれたのが医学生時代のインドへの旅だった。狭い世界で生きていく怖さを感じ、カオスの世界に飛び出してみた。
「マザー・テレサが創設した“死を待つ人の家”があるコルカタでボランティアを経験したことがとても印象に残っています。生きるとは何か。何のために生きるのか。一生をかけて何を成し遂げたいのか。考えさせられました」
世界中から様々なバックグラウンドを持った人が訪れボランティアとして活動していた。そんな環境に身を置くと、経歴や年齢に関係なく、自分が信じた道を思い切って進むほうがいい。そんな勇気をもらった。
そして、社会に出るにあたり選択したのは、日本で一番厳しい病院でまずは助産師としての経験をつむこと。それが、日本赤十字社医療センターだった。
当時、年間3500人ほどの分娩件数があり、ハイリスク妊婦を中心に多くの家族と、助産師として関わった。切迫早産や合併症、血栓、難しい症例などと向き合い、助産師としてのスペシャリティを磨く旅路を歩む中で遭遇したのが、大きな社会課題だった。
「例えば、高齢出産の多さ。第一子を40代で産む方も多かったんです。子宮筋腫や内膜症で流産を繰り返していたという方もおられました。そんな方々とお話していると、毎回といっていいほどショッキングな話があがってくるのです。キャリアを大事にしたら、高齢出産になるしかない。出産で職場を離れることを理解してくれるような職場じゃなかった。家庭を大事にしていたら、今の役職に就けなかった……」
不妊治療を経て高齢で妊娠をしたが体調を崩し、長年積んできたキャリアを手放し、最終的に流産してしまった妊婦さんと出会った時に、この現状を変えなければならないという想いに突き動かされた。助産師の仕事では職場環境を変えたり、経営者をはじめとした意思決定層を変えたりすることはできないと、2年で退職を決める。
「石の上にも3年という言葉があります。でも、自分が向き合ってきた妊産婦の方々が抱える課題の本髄が病院の外にあることを感じているのに踏みとどまることはできませんでした。こうと思ったら、莫大な瞬発力が出るんです。失敗してもいいから、とにかく外に出てみようと思いました」
助産師の仕事を通して働く側の視点が見えた。だから、今度は雇用者側の論理が知りたいと思い人材紹介会社の営業職に転じた。そこで企業の実態が少しずつ見えてきた。
「男性も女性も採用する、と言いながら、男性しか採用していない会社もありました。このポジションは女性は採らない、出産で辞めてしまうから、と言われたこともありました」
一方で、真摯に採用ニーズを聞く姿勢は企業に評価された。営業成績を挙げ、わずか半年、最年少・最短でチームマネジャーに昇進する。だが、筒井さんの中では新たなテーマが浮かんでいた。育児中の労働者の働きにくさや経営層がいまだ無意識のうちに抱いているジェンダーバイアス。しかし、そういった課題がつかめても、解決につなげるためには突破口となりうる客観的データやマスアプローチが必要だと感じていた。そこで2018年にコネヒト株式会社に転じる。出産する女性の3分の1が使う「ママリ」を運営している会社だ。
当初は「ママリ」の広告営業として入社した。やがて白羽の矢がたち、新たな仕事へとキャリアは広がっていく。
「ママリが持っている多くのユーザーとの接点。それらを活用することで、企業や自治体に貢献できるのではないかと考えたんです。例えば、親や子ども向けの商材をもつ会社をアライアンスパートナーとして、一緒にサービスやビジネスを考えていきました。そのひとつに佐賀県と連携したプロジェクトがあります。フィンランドにネウボラという仕組みがあって、一人の保健師が妊娠期から就学前までサポートしてくれるんです。とてもいい体制で、これを佐賀県でも取り入れたいという話がありました。しかし、既存のオペレーションやネットワークでは実現は難しかった。そこを『ママリ』が担えないかと考え、県に提案しました」
情報をくれたのは、医学生時代に知り合ったNPOの代表の方だった。「ママリ」をプラットフォーム的に使えば妊娠・出産から育児期まで切れ目のないサポートが提供できる。2020年、筒井さんの提案は佐賀県知事にも支持され提携は実現。こうなれば「ママリ」のユーザーも増える。まさにウインウインの連携となった。
その後、自治体や企業でのダイバーシティ研修や、育休取得対象となる男性社員・新婚夫婦・中学生などを対象としたプロジェクトの企画・運営なども筒井さんの仕事に加わった。ジェンダーギャップの解消に社会の目線が向いていったのだ。
助産師をしている頃、日本人には強い思い込みがあると感じていた。子育ては女性がするもの。男性は一家の大黒柱として支える存在。しかし、こうした固定概念は、少しずつ変わってきていた。だが、それでも出産によってキャリアを諦めるような状況は、まだまだ続いていた。雇用・労働市場のあり方を持続できないものとする、ジェンダーギャップから生じる歪みのようなものがある、と感じていた。
「結局、経営者の考え方が変わらないと働く環境は変わっていかない、と思いました。育児休暇を取ったら昇進がなくなった、といった会社では、安心して出産はできない。社会の空気を変える自治体のアプローチも意味はありますが、やっぱり働く環境をつくっているところに直接アプローチすることが求められるんじゃないかと感じるようになったんです」
2023年に顧客企業におけるフィードバック研修で講師をしている様子(写真提供:筒井さん)
これが2021年のXTalentへの転身につながる。採用支援という切り口でスタートアップをはじめとした企業の経営者と直接コミュニケーションを図れる機会があったからだ。そして経営者や人事担当者に会い、改めて追い風を実感した。ESG(環境・社会・ガバナンス)、パーパス経営、コロナ禍、そして法改正による「男女の賃金差異」をはじめとする企業の情報公表項目の増加。働く環境を整えていくことの価値が、どんどん高まっていったのだ。最近では、新たな変化も実感している。
「ワーキングペアレンツが利用するwithworkは、私が入社した2年前は女性の登録者が9割でした。ところが、いま男性の登録者が急速に増えているんです。実は、仕事だけではなく育児もしたいという男性は多いというインサイトが表れた結果だと思います。もっと育児にも時間を割けるキャリアを、というニーズはどんどん高まっている。そして大企業では、グローバルな要請も大きくなっています。海外投資家からはDEIへの意識やコミットメントは当たり前のように求められます。すでに人材不足の時代を迎えている今、そもそも適正なカルチャーを持っていなければ、優秀な人材は採用できなくなります」
XTalentのDEIラボのコミュニティイベント開催時の様子(写真提供:筒井さん)
このように、急激に社会の価値観は変わりつつあるが、それでもまだ、過半の企業が変わったという手応えはないと筒井さんは語る。
「優秀な人材を採用したい企業が、キャリアとライフをトレードオフにしない職場環境を構築することの利点について、もっともっと浸透させなければと感じています。実際、共働き世代が組織の中核として活躍できている組織ほど、優秀な人が入社しやすいということは実際に多くの企業の採用支援をしている中で確固たる実感となってきています」
新たな波に追い風が吹く今、次なるテーマは経営者をはじめとする意思決定層、企業の中核人材に共働き世代を増やすこと。また、いかなるライフイベントを経ても持続可能な働き方を提示できる企業、さらには、それによって事業成長を持続的に遂げられる企業を増やすことだ。
学生時代に見つけた課題感、そして使命感は今、さらなる進化に向かおうとしている。
撮影/西田香織
上阪徹
ブックライター
1966年、兵庫県生まれ。早稲田大学商学部卒業後、ワールド、リクルートグループなどを経て、1994年にフリーランスとして独立。経営、金融、ベンチャー、就職などをテーマに、雑誌や書籍、ウェブメディアなどで幅広く執筆を手がける。近著に『安いニッポンからワーホリ!』(東洋経済新報社)、『ブランディングという力』(プレジデント社)など。