経済の中心地、八重洲・日本橋・京橋エリアの源流をつくったのは、江戸の発展を支えたクリエイティビティ溢れる町民たちでした。現代の町民たちが何を考え、どこへ向かっているのか、さまざまな領域で活躍するキーパーソンへのインタビュー。
“Y”ou “N”ever “K”now till you try
第1回は中央区京橋に本社を構える大手ゼネコン・清水建設。江戸時代に創業し、200年以上にわたって“進取の精神”を受け継いできた清水建設が、宇宙に関わる事業を展開しているのをご存じだろうか。しかも、始まりは35年も前のことなのだ。
\今回話を聞いたのは/
清水建設株式会社
フロンティア開発室 宇宙開発部長
金山秀樹さん
コロラド大学ボルダー校大学院で修士号を取得後、1988年清水建設に入社。宇宙開発室にて、海外情報の収集・分析、宇宙開発戦略の策定、海外との協力関係構築等に従事。1996年より宇宙専門のコンサルタント企業であるシー・エス・ピー・ジャパンの事業に関わり、2015年に代表取締役に就任。2018年4月より清水建設フロンティア開発室宇宙開発部長に就任。
▶︎「週末は日本橋地域を拠点とする少年サッカーチームの運営・指導を行っています」
取材を行う応接室のテーブルに、高さ5センチ、直径1センチほどの透明な瓶がそっと置かれた。中にはグレーのパウダー状の物質が入っている。
「アメリカのNASAがアポロミッションで月に行ったとき、持ち帰った砂があるんです。月の砂はレゴリスと呼ばれていますが、これは、我々が開発した、月の砂に近い特性を持つ月模擬砂『レゴリスシミュラント』です」
こう語るのは、清水建設株式会社・フロンティア開発室・宇宙開発部長の金山秀樹さんだ。物理的特性はもちろん、シリコン、鉄、チタンなどが混ざった化学的特性もできるだけ近くブレンドしたという。もちろん、模擬砂を開発したことには理由がある。
「月で何らかの建造物を建てようとしたとき、驚かされるのが運搬コストなんです。地球から月面までは1kg運ぶのに1億円かかる。そこで、月の資源で建材を作ることができないか、と考えて研究目的で開発しました。今では我々の商品のひとつになっています」
JAXA(宇宙航空研究開発機構)や大学の研究室などへ、研究目的に限って販売しているという。
清水建設の宇宙事業の始まりは、1987年にさかのぼる。地上だけでなく、大空間や地下、砂漠、海洋などの極限環境に人が出ていくことになったとき、建設技術はそれをどうサポートできるか。そんな研究対象の一つに、宇宙が挙げられたのだ。そして、宇宙開発室ができた。
「新しいことに取り組む企業カルチャーが宇宙開発という大きなテーマに向かわせたのだと思います。ただ、建設業界としては仰天だったと思います」
ロケットを作るわけではない。人工衛星を作るわけでもない。建設会社が宇宙で何をやるのか、と思われたのだ。金山さんの入社はこの翌年。だが、構想は着実に前に進んでいく。
「最初は異業種5社でスペースポートの研究から始まりました。ロケットは今、基本的に使い捨てですが、いずれは飛行機のように完全再使用される。そうなれば、空港ならぬ宇宙港が必要になるだろうと、都市機能のひとつとして検討が始まったんです」
その後も共同研究で、トラス構造を移動する宇宙ロボット、宇宙太陽光発電のような大型軌道上構造物、宇宙旅行や宇宙ホテル、月や惑星上の建設、現地の資源利用などのテーマで研究が進んだ。
太平洋スペースポート構想
宇宙ロボット「Self-Mobile Space Manipulator」
「シミズドリームと銘打って、人が宇宙で暮らす時代に建設会社としてどう貢献できるか、地上宇宙両方での安心安全を提供するための技術開発を進めてきました。月面でのコンクリート製月面基地や、月から全世界にクリーンエネルギーを提供する『月太陽発電ルナリング』の構想も発表しています」
構想によって未来の姿を見据え、行うべき研究開発を進めていったのである。
実は宇宙に関心を持った建設会社は他にもあった。90年代には、建設業界として宇宙を盛り上げていこうと宇宙建設研究会も立ち上がった。ところが、バブル崩壊後の不況から1社抜け、2社抜け、やがて解散になってしまう。
「もちろん我々も不況の影響は受けましたが、『宇宙はやらなくていい』とは、経営陣も含めて誰も言わなかったんです。これは、常に時代を先取りする“進取の精神”を意識してきた清水建設という会社の文化も大きいと思います」
だが、2010年代に入り、宇宙産業におけるパラダイムシフトが始まる。宇宙事業のスタイルが大きく変わっていったのだ。
「国から民間へ、という動きです。政府主導の公共目的が、民間主導の商用目的に移っていったんですね。開発スタイルもダイナミックなものになりました。失敗してもデータが取れることが価値になる。そんなカルチャーが、開発を大きく加速させたんです」
まさに、イーロン・マスクのSpaceXに代表される民間の宇宙ビジネスの拡大が始まったのだ。衛星やコンピュータにおける技術進化も進む。人工衛星の小型化やコンピュータの処理能力の向上も大きかった。
こうした新しい流れの中で、清水建設は研究だけではなく、事業化へと舵を切っていく。2018年、フロンティア開発室が設立され、宇宙として3つの事業を打ち出した。
「小型衛星打上げ事業、衛星データサービス事業、そして宇宙での月面開発です。時間軸としては、短期、中期、長期の目標となっています」
もちろん建設会社だけでは進められないプロジェクト。そこで、外部企業との連携を計った。「小型衛星打上げ事業」は、キヤノン電子、IHIエアロスペース、日本政策投資銀行との4社によって共同設立されたスペースワン株式会社が担う。
「従来は研究目的や教育目的に限られていましたが、小型衛星の実用化が急速に進んだこともあり、専用機で打ち上げたいというニーズはとても大きいんです」
地球観測、インターネット用の高速通信、IoT機器を常時監視するM2M通信、デブリ除去や人工流れ星など、小型衛星を使った事業はどんどん広がっている。すでに、地球観測衛星は数百機以上が地球を周回しているという。
「そうした打ち上げ需要に応え、小型衛星を専用のロケットで打ち上げ、所定の軌道に乗せようという事業です」
4社の共同設立の中、清水建設がまず担ったのが、小型ロケット「KAIROS」の発射場を作ることだ。2021年末、和歌山県串本町に射場を建設している。
スペースポート紀伊のイメージ(提供:スペースワン株式会社)
「ロケットの打ち上げには、さまざまな条件があります。東か南に向かって打ち上げるので、その方向に海があること。また、半径1km以内に国道や鉄道がない。民家もあってはならないんです」
選りすぐられた場所に、すでに射場ができ、ロケットの初号機打ち上げは2024年以降に予定されている。
中期の計画として推し進められているのが、「衛星データサービス事業」だ。これは、衛星測位技術を用いた動態監視を可能にするサービスである。
「衛星測位では、宇宙から絶対座標で位置決めができるわけです。それを使って、地球の表面がどう動いているのか、見ていこうという事業です。地球表面や構造物の変化を数ミリ単位で把握することができ、しかも24時間365日監視が可能です」
例えば、建設現場に斜面があるとする。それが安定しているかどうかは、施工管理上、極めて重要。そこで、衛星測位データを独自に解析する技術を使えば、光学測量の代替になる。
特に台風や豪雨の際には、施工現場の監督者は気が気ではないというが、このシステムを使えば、リアルに現状がわかるのだ。また、施工後の監視も可能になる。独自のアルゴリズムで、上空視野が制限される環境でも、正確な測位ができる。すでに社内の工事現場などで活用されており、システムの販売も予定されている。
「また、合成開口レーダーという技術を使った広域地表監視も考えられています。道路や橋梁などのインフラの保守管理、地盤沈下などの地形変化の監視のほかにも、例えば駐車場の混み具合を把握する、日本近海での不審船の発見、洪水の状況なども把握可能。しかも、合成開口レーダーだと、天候に関係なく夜間でもわかります。こちらも現在、技術開発を進めています。小型合成開口レーダー衛星事業者である宇宙ベンチャーのSynspective社に出資し、共同で事業を模索している。」
そして長期の計画が「月開発利用」だ。進めている取り組みは2つ。「月面建設技術」と「月の砂(レゴリス)の現地資源利用」の研究開発である。「月面建設技術」は、過酷な月面環境に耐えうる有人滞在拠点の実現、輸送コスト削減と少人数や無人での作業の実現を目指している。月の砂については、冒頭で紹介した通りだ。
月面ロボットのイメージ
「運搬コストという課題もありますが、そもそも月と地上とは環境が大きく違うんです。重力は6分の1ですし、地球のように1日で昼と夜が来ない。月面は14日間の夜と14日間の昼が交互にやってきます。夜間は、気温がマイナス百何十度にもなる。視認性も悪い。厳しい環境ですから、そこでの電源についても考えないといけない」
月開発利用については、宇宙ベンチャーのispaceに出資を行い、共同で活動している。月面着陸して探査車を走らせようという挑戦で知られたispaceだが、ローバーの研究開発では清水建設が提供したレゴリスシミュラントが役立てられている。
「清水建設は、2021年から民間による月の研究開発を加速させようという国土交通省のスターダストプログラムにも参画し、2件が採択されています」
そのひとつは、自動車部品メーカー・BOSCHとの共同で、無人建設技術の高度化につながる自律施工システムの開発、実証。そしてもうひとつが、膜構造を利用し、畳んで運び、現地で展開して居住空間を作り出すための技術開発。こちらは太陽工業と東京理科大学との共同提案だ。後者は実現可能性検討を終え、研究開発に移行している。
©清水建設/太陽工業/東京理科大学
(国土交通省宇宙建設革新プロジェクト)
「人が宇宙に行き、宇宙を楽しむ時代は必ず来ると思っています。そしてそれは、人の価値観を大きく変えていくかもしれません」
宇宙はすでに遠いところにあるのではない。清水建設のプロジェクトが、それを教えてくれる。
撮影/西田香織
上阪 徹
ブックライター
1966年、兵庫県生まれ。早稲田大学商学部卒業後、ワールド、リクルートグループなどを経て、1994年にフリーランスとして独立。経営、金融、ベンチャー、就職などをテーマに、雑誌や書籍、ウェブメディアなどで幅広く執筆を手がける。近著に『安いニッポンからワーホリ!』(東洋経済新報社)、『ブランディングという力』(プレジデント社)など。