EVENT REPORT
江戸の庶民の暮らしと神輿の魅力を知る。山王祭について学ぶ「江戸まち塾」第二回開催
2024.06.05
山王祭(さんのうまつり)は、江戸三大祭りに数えられる由緒ある祭り。2年に1度6月に全面的に開催されるのが習わしとなっていましたが、コロナ禍により今年は6年ぶりの通常開催となります。今回、その山王祭の魅力と楽しみ方を知る「江戸まち塾」の第二回が、5月13日に日本橋にある東京建物日本橋ビルで行われました。
6年ぶりの開催に向けて盛り上がる地元と祭りファン
当日は山王祭を心待ちにするたくさんの地元の住民や企業の方々、祭りファンのみなさんが参加
コロナ禍を経て実に6年ぶりの全面的な開催となる今年の山王祭。待ちに待った開催ということで、この日の「江戸まち塾」には祭りを楽しみにする地元の方々や祭りファンのみなさんが多く集まっていました。
そもそも山王祭とは、東京都千代田区にある日枝神社で開催される祭りで、江戸時代には徳川三代将軍家光以降、歴代の将軍が上覧拝礼する由緒ある「天下祭り」として現在まで受け継がれてきました。この山王祭、神田祭に深川祭を加えたものが江戸三大祭り、そして山王祭、京都の祇園祭、大阪の天神祭をあわせて日本三大祭と呼ばれています。
そんな山王祭の魅力と楽しみ方を紹介するのが二回にわたって開催された「江戸まち塾」。3月に行われた第一回では、タレント・女優・歴史作家として活躍中の堀口茉純さんと江戸町火消し「ろ組」組頭の鹿島彰さんを講師に迎え、初心者でも楽しめる祭りの魅力と祭りにおける町火消しの役割についてお話しいただきました。
講師を務めた田中優子先生(左)と細田眞さん(右)
今回の第二回では、まず江戸文化研究者で法政大学名誉教授の田中優子先生から「庶民の生活と、循環都市『江戸』」をテーマにした話があり、その後、田中先生と株式会社榮太樓總本鋪取締役会長で日本橋一丁目町会長を務める細田眞さんによる「山王祭と神輿」をテーマにした対談が行われました。
水の町・江戸はすべてがリサイクルされる循環型都市だった
江戸時代の様子が分かるさまざまな資料を元に分かりやすくお話ししてくださった田中先生
前半では、田中先生から浮世絵や当時の江戸の町の予想図、古地図などを示しながら江戸時代の庶民の暮らしと、江戸の町の成り立ち、そしてその中で行われていた祭りについてお話しいただきました。
「江戸時代は多くのお祭りが誕生した時代です。江戸や京都などのお祭りを見習いながら、各地方や村々でも次々にお祭りができていきました。村ではお祭りの日のことを『遊び日』と呼び、この日だけは日常の仕事から解放され、盛り上がり楽しむ日。だからみんなお祭りをとても楽しみにしていたんですね。特に山王祭は江戸を代表するお祭りですから、江戸の町の人たちは1年あるいは2年かけて準備をし、山車を引いたり神輿を担いだりということを大変楽しみにしていました。動画や写真がない時代ですのでお見せできないのが残念ですが、その活気はすごいものだったと思います。そんな江戸の庶民たちはどんな暮らしをしていたのか、今回はその暮らしぶりをご紹介させていただきます」(田中先生)
当時の江戸の町を表すキーワードとして田中先生が提示されたのが「水」と「循環型社会」のふたつ。
江戸時代前の様子が分かる想像図
「江戸は水辺の文化です。隅田川という大きな川があるわけですが、それ以外にも今では考えられないくらいたくさんの川が江戸中を通っていて、それを使って物や人を運んでいました。この川があることで、夏でも水によって冷やされ気温が上がり過ぎない、水の流れで心が癒やされるといった効果もあります。歌川広重の『江戸名所100景』は108ありますが調べてみるとその8割の絵に水が描かれています。これはやはり当時の人たちが水を意識していたことの表れですね。江戸城には城郭がなく、堀で守られているだけでした。これも壁ではなく水。こんなところからも当時の人の暮らしに如何に水が重要なものだったか、江戸が水の都市だったかということが分かります」(田中先生)
もうひとつ江戸の暮らしを知る上で重要なのが、江戸が循環型社会だったという点です。田中先生曰く、当時の江戸はとても清潔な町だったとのこと。ただはじめからそうだったわけではなく、いろいろな問題が起こる度にそれを解決する中で、町の形や仕組みを変えていったとのこと。つまり問題解決型都市でもあったのです。
江戸時代の古着屋。当時は着物のリユースが当たり前だったそう
「江戸の問題を解決するために作られたものにはいろいろありますが、町火消し制度もそのひとつ。ほかに下肥問屋も排泄物の処分の問題を解決するために生まれたものです。江戸初期、ゴミや排泄物は山や川に捨てられていました。それによって川底が上がり、船が通れなくなってしまったため幕府は川への投棄を禁止し、肥料として農村で使われるようになります。その際に、長屋や武家屋敷から排泄物を買い取り農村へ売ることを仕事にしたのが下肥問屋です。当時はゴミや排泄物を捨てる側がお金をもらって処分していたわけです。今では考えられない話ですよね。同じように着物も古着屋に売ったり、直したりしながら長く着て最後には燃やして灰になる。それを灰屋がきてお金で買って行くわけです。ゴミも排泄物も着物も紙も瀬戸物も…すべてお金で引き取ってもらえる。だから江戸の町は清潔できれいだったんですね」(田中先生)
そのほかにも、江戸の町で人々の生活を支えた振売(ふりうり=木桶やかごなどを前後に取り付けた天秤棒を振り担いで商品を売り歩く商売)や屋台の話、実はインフラが整った居住エリアだった長屋の話、家主や町名主を中心とした自治組織を作り町の安全を守っていた話などが次々と紹介されました。今の私たちとは全く違う江戸の人々の暮らしぶりに、多くの参加者が熱心に耳を傾けていました。
担ぐだけじゃない! 祭りの神輿を見るポイント
祭りの際の神輿の写真をはじめ、地方に譲られた山車やNYに渡った神輿など貴重な写真も披露されました
後半には田中先生と細田さんによるトークセッションが行われました。話は江戸時代に山車が中心だった山王祭が、今の町神輿が中心となっていった流れについてからスタートしました。
実際の写真を見ながら細田さんが神輿について解説
「多くの方が神輿を担ぐことを楽しみにしていただいていると思いますが、もともと山王祭は山車が中心のお祭りでした。それが戦前から道路事情などによって難しくなってしまいました。使われていた山車は地方のお祭りが盛んなところに譲られていき、その一部が今も残っていて見ることができます。ただ、今年は日本橋高島屋さんと清水建設さんが日枝神社に寄贈された象の山車が登場予定。象の山車は江戸時代、大変人気があったもので浮世絵などにも登場していますので、ぜひ楽しみにしていてください」(細田さん)
「確かに山車はすばらしいんですが、保管するのが大変。むしろ神輿は、子供神輿もあるようにいろいろな人が担いで、気軽に参加することができますよね。そういう意味では私は神輿の方が好きかなと思います」(田中先生)
みんなで神輿を担ぐのは祭りの醍醐味でありますが、細田さんからは見て楽しむ場合のポイントも。実際の日本橋一丁目町会の神輿の写真を見ながら具体的にお話しいただきました。
神輿に付けられた駒札と擬宝珠
「まずは駒札ですね。ここには町会名や団体名が入っています。うちは日本橋一丁目なので、略して『日本一』とさせていただいています。この町の特権ですね。神輿の一番上は鳳凰が乗っているのが一般的ですが、日本橋の袂の御神輿ですから、擬宝珠(幕府が直轄した橋の親柱につけられた装飾)を乗せているのが大きな特徴です。鳳凰は町内巡行の際、擬宝珠は下町連合渡御の際と使い分けています。屋根には神社の紋と菊の御紋を入れており、菊の御紋は皇室の紋章より、1枚花弁が少ない形としています。彫刻も普通は龍が多いのですが日本橋にちなんで麒麟になっているところもポイントです。お祭りの際は細部までご覧いただくのが難しいと思いますが、お祭り前に御仮屋に神輿が飾られますのでそこでぜひご覧になってみてください」(細田さん)
それ以外に神輿を楽しむポイントとしては、その大きさや担ぎ方などがあるそう。屋根や土台が大きいほど神輿は重く、重い神輿を担ぐことが一種のステータスとなっているのだとか。また、神輿が跳ねすぎず担ぎ手の足並みが揃っている方が引いて見たときに美しいそうなので、そういった点にも注目してみると、より祭りが楽しめるかもしれません。
日枝神社で行われる嘉祥祭の様子
また、山王祭の行事のひとつとして行われる嘉祥祭(かじょうさい=和菓子をお供えし無病息災を祈願する)についての話も。当日は職人さんが神前でお菓子を作る様子を見ることができたり、一般の方にもお菓子を配られるといった話など、あまり知られていない情報に、参加者の方々も興味深そうに聞き入っていました。
「ぜひ参加してみたい」と嘉祥祭に興味津々の田中先生
「こうやって細かく見せていただける機会はなかなかないので、すごくおもしろいですね。神輿についても和菓子についても、職人さんの物作りの技術がお祭りに生かされているのはすばらしいこと。この技術を絶やさないためにも作り続けいただいて、私たちが繋いでいかなければいけないとあらためて思いました」(田中先生)
会の最後には山王祭の成功を祈念して一本締めが行われました
最後に山王祭に向けて、細田さんと前回登場された江戸町火消し「ろ組」組頭の鹿島さんから意気込みとご挨拶が。その後、鹿島さんによる木遣りと細田さんの音頭による一本締めが行われ、参加者のみなさんの大きな拍手とともに会は終了となりました。
【講師】
田中優子先生
江戸文化研究者。法政大学名誉教授。2005年に紫綬褒章受章。著書『江戸百夢』でサントリー学芸賞など数々の賞を受賞。ほか、『落語がつくる<江戸東京>』『遊郭と日本人』など多数の著書がある。
細田眞さん
東京都生まれ。日本郵船株式会社勤務を経て、1983年に株式会社榮太樓總本鋪に入社。2008年の同社代表取締役社長就任を経て、2023年から取締役会長。日本橋一丁目町会長、全国和菓子協会会長などを務める。
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