vol.1『東京駅を通り過ぎる人々』

2023.12.18

日本の玄関口・東京駅を有する八重洲・日本橋・京橋エリアは、多くの人を受け入れるまちであるとともに、地縁的な結びつきも強いまち。注目の若手エッセイスト・絶対に終電を逃さない女が、このまちや人々を観察していく連載。

「次は、東京、東京」

到着駅を告げる車掌のアナウンスに、私は何やら今しがた上京してきたかのような感慨を覚えた。上京して10年弱、東京駅には年に何回かは降りるし通過することもあるのだから聞き慣れていないわけではないのだが、「東京駅を観察する」という目的を持って改めて訪れることで感覚が研ぎ澄まされるのか、「東京」という地名が今一度甘美な響きを持って私の耳をくすぐるのである。

 

八重洲・日本橋・京橋エリアの街や人々を観察していくこの連載。第1回のテーマである「東京駅を通り過ぎる人々」を探るため、11月上旬のある日の朝9時半、私は八重洲口改札を出た。

休日ということもあり大きな荷物を持った老若男女が忙しなく行き交う駅構内の階段を降りると、東京駅一番街はまだ開店していない店舗も多い。シャッターの下りたジャンプショップ(主に週刊少年ジャンプの公式グッズを取り扱うショップ)の前には学ランを着て各々大きなリュックを背負った中学生か高校生の5人グループが屯していて、そのうちの一人がミッキーマウス型の青いサングラスをかけていわゆる“ウンコ座り”をしている。とはいえ彼らの雰囲気から察するに決して不良ではなく、ふざけて不良の真似事をしているだけの修学旅行生なのだろう。

 

そんな彼らを横目に向かったのは、ヤエチカ(八重洲地下街)で最も古い喫茶店である1970年創業の「アロマ珈琲 八重洲店」。ここは朝から混雑しているようで、五分ほど並んで席に案内された。駅直結とはいえ改札からは割と歩くからか、大きな荷物を持った人は少なく、どちらかというと近隣住民か近隣の勤め人といった風情の人が多い。

店員さんが「いらっしゃいませ」ではなく「おはようございます」と挨拶しているのは隣のテーブルの常連らしき老夫婦。にこやかに挨拶を返してコーヒーとモーニングを2つずつ注文すると、それぞれ丸善のブックカバーをつけた本を黙々と読み始めた。ほど近くにある丸善日本橋店で買ってきたのだろうか、もしそうだとすれば理想のデートだ! と私は密かに興奮した。

私の考える理想のデート、それは本屋でそれぞれ気になる本を買い、喫茶店で各々読むだけのデートである。

モーニングの厚切りトーストがテーブルに置かれると、夫妻はジャムを塗りながら静かに会話を始めた。こんな感じで時々会話をするのもかなり理想的だ……などと思いながら私もトーストにジャムを塗り、かじり、ホットの「カフェオーレ」を啜り、この原稿を書き始める。

 

向かいのテーブルの椅子にはグッチのバッグが置かれていて、持ち主の女性はどうやら研究者らしい。

「働いて、海外飛び回って、ってやってると、一般的な日本人女性像から離れていくじゃない? だから恋愛に自信がなくなるんだよね。そういう話よく聞く」

「博士号持ってても?」

「うーん、仕事が充実してても……なんていうか……」

「それでも誰か一人に選ばれたいみたいな?」

「そうそう!」

そうかあ、博士号とグッチのバッグを持ってても、恋愛における自信は持てないどころか引き換えに失ってしまうこともあるのかあ、と私はしみじみ思う。

 

ひっきりなしに客が訪れる中、キャリーバッグを持った外国人観光客3人組が階段を降りてきた。NintendoのロゴTシャツを着てポケモンのトートバッグを持った女性と、男性2人。女性がタトゥーの入った腕を上げて、ブレンドを3つ注文する。

そういえば、女性1人・男性2人という組み合わせの外国人観光客は割と見かけるが、その日本人バージョンは見ないというか、その組み合わせで旅行をするというイメージがない気がする。と書きながら、大学の先輩が女1・男2で旅行に行って途中で揉めて男1人だけ先に帰ったという話を昔聞いたことを思い出す。

 

昼頃、八重洲中央口付近のバスターミナルに出た。ここからは関東各地はもちろん、東北、関西、中国地方など、地方都市への高速バスも発着している。

ちょうど出発した成田行きのバスに向かって、笑顔で両手を大きく振る女性がいる。その隣のバス停には、立ったままちらし寿司の弁当を食べている外国人がいる。その背後で自撮りをする女性3人組がいる。その間を市松模様のジャケットを着たボランティアガイドが通る。中学生の吹奏楽部が20人ほど列になってキャリーバッグを転がしながらぞろぞろと横切っていく。電話口で中国語を話す女性が右往左往している。その近くから猫の鳴き声が聞こえ、よく見ると彼女の持つタグが付いたままのペット用キャリーバッグの中で、1歳に満たないであろう白い子猫が全身を小刻みに震わせながら、ニャー、ニャー、ニャーとけたたましく鳴き声をあげ、窓からきょろきょろと外の景色を伺っている。東京駅に来て戸惑うのは人間だけではないようだ。

 

駅構内に戻り、この日最後に向かったのは、東海道・山陽新幹線改札内の待合スペースにあるスターバックス。

 

カウンターに座っているとふっと香水の匂いが漂ってきて横を見ると、呪術廻戦のTシャツを着た外国人女性がなぜか号泣しており、同行の女性が抱きしめて慰めていた。しばらくして泣いていた女性が去っていき、その1分後くらいに慰めていた女性が立ち去ったのだが、ふと彼女らがいたスペースを見ると、動画を再生したままのスマホとスタバの紙ナプキンが置いてある。すぐ戻ってくるのかな、と思ったが、いや、いくら治安の良い日本といえど、こんな席の確保の仕方をするはずがない。かといって、こんな忘れ方をするだろうか?

持って追いかけるべきなのか、しかしどこに行ったかわからない。駅員に届けるべきなのか、しかしその間に彼女らが戻ってくるかもしれない、そうこうしているうちに新幹線に乗り遅れてしまうかもしれない。このまま放っておいてもしも誰かがこのスマホを持ち去ろうとしたら。私は腕を掴んで「それどうするつもりですか」と聞く想像をした。

すると泣いていた女性が“Oh!”と言いながら小走りで戻ってきてスマホを回収していった。人は、思いもよらない忘れ方をすることがあるらしい。私は心の中でその人の背中に向かって言う。大丈夫、あなたのスマホは私が見張っておいたから、誰も指一本触れていませんよ。

 

この待合スペースは数段上がったところにあって、カウンターの目の前には通路があり、人々の往来が見える。駅員が車椅子を押してスロープを下り、東京バナナの紙袋を下げた出張帰りのサラリーマン3人組とすれ違う。

東京に来た人、東京から帰る人、東京に帰ってきた人、東京から出ていく人。

 

私が東京駅の新幹線乗り場を通過する時は、何の人なのだろう、とふと思う。

今の私は誰を見送るわけでもないのにわざわざ入場券を買って新幹線乗り場にいるだけの奇人だが、新幹線で上京して東京駅に降りた時は当然、東京に来た人だった。10歳の時に一度引っ越しているので、地元1と地元2と東京に住んだ期間が、だいたい1:1:1になっているのが現在である。

 

地元や故郷と呼ぶべき場所すら定まっていない私は、帰省する時は東京から帰る人なのか? 東京を出る人なのか? 帰省から戻ってきた時は、東京に帰ってきた人なのか? 東京に来た人なのか?

生まれた場所は明確だ。育った場所は一般的に子供時代を過ごした土地を指すが、10歳から18歳よりも、18歳から28歳のほうが、精神的には成長した気もする。じゃあ私が育った場所はどこなのだろう。私が帰る場所は、どこなのだろう。

 

東京駅を通り過ぎていくのは、実に多種多様な人々だ。東京には様々な街があり、それぞれその街に集う人たちのイメージが形成されていたりするが、東京駅は「こういう人が多い」という特徴を見出すことは難しい。逆に言うと、東京駅ほどいろんな人が集まる場所はそうないのではないか。

だからきっと東京駅では、育った場所や帰る場所がわからない私と同じような人も、たくさん通り過ぎてすれ違っているのだろう。そう思うと、東京駅が今までもよりも少し、優しい場所に感じられてくるのだった。

 

写真/波田野州平

絶対に終電を逃さない女
文筆家

1995年生まれ。早稲田大学文学部卒業。大学時代よりライターとして活動し、現在はエッセイを中心にWebメディア、雑誌、映画パンフレットなどに寄稿。雑誌『GINZA』(マガジンハウス)のウェブマガジンに掲載した連載エッセイ「シティガール未満」が話題となり、2023年に書籍化。(アイコン写真 撮影:小財美香子)

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